大神神社 奈良県桜井市三輪(みわ)町に鎮座。祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)(また倭大物主櫛玉命(やまとのおおものぬしくしみかたまのみこと))、配祀(はいし)は大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)。神話によれば、少彦名神が常世(とこよ)の国に去ったあと、独力で国造りをしていた大己貴神の前に、国造りをともにするため海上より出現した大物主大神(大己貴神の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)ともいう)を、その意志によって御諸山(みもろやま)(三輪山)に祀(まつ)ったのが起源であるという。三輪山を神体山とし、太古以来本殿はない。山麓(さんろく)に拝殿(国の重要文化財)があり、その奥に三輪鳥居(国の重要文化財)が立つ。『延喜式(えんぎしき)』では名神(みょうじん)大社、大和(やまと)国一宮(いちのみや)、明治の官制では官幣大社。例祭は4月9日。ほかに、元旦に神火を松明(たいまつ)に移して参詣(さんけい)者に分かつ繞道祭(にょうどうさい)(御神火祭)、2月6日の御田植祭(おんださい)、薬草を供える4月18日の鎮花祭(はなしずめのまつり)、印(しるし)の杉玉を酒造家に授ける11月14日の酒まつり、摂社率川(いさがわ)神社(奈良市本子守(ほんこもり)町)の6月17日の三枝祭(さいくさのまつり)(ゆり祭)などが有名。なお、神宮寺であり中世以降三輪神道を発達させた大御輪寺(だいごりんじ)と平等寺は、明治初年に廃され、大御輪寺の本堂は摂社大直禰子(おおたたねこ)神社(本社境内)の本殿(重要文化財)に転用、その本尊十一面観音立像は聖林寺(しょうりんじ)(桜井市下(しも))に移された。拝殿の前を南北に通る古道は、いわゆる「山辺(やまのべ)の道」である。
大巳貴神社に、三輪町のルーツを尋ねる
三輪町の北東部、参勤交代の大名行列も通った秋月松崎街道沿いに鎮座する「大巳貴神社」。目配山を背にして、うっそうと生い茂る森に囲まれたお宮は、いつ訪れても神々しい雰囲気がただよっています。それもそのはず、ここは神功皇后が建てられたという古社。一説には我が国で最も古い神社の一つだとか。町名の”みわ”はこの氏神様の別名大三輪神社、大神神社にちなんだものです。
あの邪馬台国は三輪町にあった!
女王卑弥呼の邪馬台国はどこにあったのか?日本古代史の謎に迫るこの問題は近畿と九州説二つに分かれ、論争が繰り返されてきました。そして、九州説が推す候補地の一つが、三輪町にある甘木・朝倉地方なのです。
不思議なのは近畿説が主張する奈良県桜井市三輪山周辺の景観も大和の三輪山と本町大神(みわ)山付近とはうりふたつ。これは興味しんしんですね未だ決着しない邪馬台国論争。三輪町を訪ねれば、あなたもトロイの「遺跡を発見したシュリーマンになれるかも。
由来 三輪のことならきいてください
遠い神代の昔、大己貴神(おおなむちのかみ)【大国主神(おおくにぬしのかみ)に同じ】が、
自らの幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)を三輪山にお鎮めになり、大物主神(おおもの
ぬしのかみ)
【詳しくは(やまとのおおものぬしくしみか
たまのみこと)】の御名をもってお祀りされたのが当神社のはじまりであります。それ故に、本殿
は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられて
おり、我が国最古の神社であります。
大三輪之神(おおみわのかみ)として世に知られ、大神をおおみわと申し上げ、神様の中の大神様
として尊崇され、各時代を通じ、朝野の崇敬殊に篤く、延喜式内社・二十二社・官幣大社として最
高の待遇に預かり、無比のご神格がうかがわれます。
突出台地と大和三山を結ぶことで、冬至の夕日に向かう「三輪の矢」とも言うべき巨大な矢が地上に描かれます。神社拝殿が山頂を向かずにその台地を向いているのは、おそらくその場所を神聖視したからじゃないかという気がします。できればその台地へ行ってみたいですねえ、冬至のの夕方に。どんな光景が見られるんでしょうか。そこを掘ってみれば縄文の祭祀遺跡が出るかもしれません。
ある時期(春分秋分など)に、三輪山頂からの日の出を見ることができるいくつかの神社が知られているので(多神社や鏡作神社(石見)など)、特に山頂が軽視されているのではないと思います。そして三輪山や桧原神社は、逆に夕日を見ることができる方向にあるわけです。古代には、冬至の日などにそのような場所で、沈みゆく夕日に対しなにかの祭りが行われていたかもしれません
で ふと思ったんですが・
「日本書紀」景行天皇の条にに、三輪山麓に連れてこられたエミシたちが、三輪山の木を切って騒いだって話がありましたよね。あれって、三輪山中から太陽(特に夕日)に向かってなにかのお祭りでもやろうと思ったんじゃないでしょうか。ほら、山から太陽を見ようとしたら木が邪魔になるじゃないですか? 「敏達紀」には、エミシ綾糟が、天皇にではなく三輪山に向かって誓いをしたという話が記載されています。あくまで天皇にではなく三輪山にね 三輪山の信仰は大和王権や朝廷に関わるというより
さらに古代にさかのぼるものかも知れません
大神神社 三輪明神結婚式受付中 レストランウエディングエブリワン 06-6448-1055
杉本竜哉
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